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May 29, 2005

枝の引き手

唐突だが、欲しいものメモ用にgoodsカテゴリーを作ってみた。

その第一弾がこれ↑。センプレで売っている枝の形の引き手。\1260なり。
我が家のリビングの戸棚の引き手が、一時代前っぽい丸い透明なプラスチックで、気に入らない。なんとなく検索してたらこれがひっかかった。うううう。欲しい。

高いものではないから買うことはできるのだが、我が家の場合、誰がそれを付けるかが問題だ。

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May 28, 2005

ピアノマンと冬ソナ

前のエントリでつまらないことを書いたが(汗)、例のピアノマンの身元はいまだわからないようだ。

ピアノマン関連の話題として、テレビ朝日のスーパーモーニングでは、ピアノマンと同じように記憶喪失になった日本人にインタビューをしていた。その人、坪倉優介氏は『ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記』という本を出している。

インタビューによると、坪倉氏は記憶喪失になったとき、自分が誰かとか、周囲の人間を忘れるというレベルではなく、言葉も食べることも忘れたという。まるで赤ちゃんのように、食べることとか、楽しいこととかを、他人の様子を見、マネをしながら理解していったそうだ。

もちろん、もっと軽い記憶喪失も辛いだろうが、坪倉氏のように言葉を失うまでの記憶喪失となると、その辛さはいかばかりかと思う。それであれば、過去の記憶を植えつけてあげてもいいくらいだ…。

そう。私は冬ソナを思い出していた。(このあとネタバレ。見ていない人は注意!)

冬ソナでは、ペ・ヨンジュン演じるチュンサンが、事故に会い記憶を失う。母カン・ミヒは、それまで父がいないことで悩んでいた息子に、本当の過去ではなく、イ・ミニョンという架空の人物の輝かしい過去を植えつけるという選択をした。それでいろいろとこじれるわけで、そんなことをしなければみんな丸く収まってたのにと憤慨していたのだが、例えば相当な記憶喪失であれば、不憫に思って過去を植えつけるかもしれないなと。その時に、何も悲しい記憶を植えつけなくてもいいかもしれないと…。

記憶の植え付けが本当にできるのか--は別問題だが、カン・ミヒの気持ちがちょっとだけわかったということで。本当の父親を教えないところは理解できないけど。

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May 17, 2005

記憶喪失だけどピアノは弾ける

謎の「ピアニスト」保護 英海岸、記憶喪失か(産経新聞)

ウズベキスタンも大変だが、この人も大変だ。

NHKによると、イギリスでずぶぬれのスーツ姿の若い男性が発見された。一言も話さないが、ピアノの絵をすごく上手に描いたという。それで、ピアノのある教会に連れて行ったらプロ並みの腕前で、何時間も弾いたらしい。

スウェーデン国旗も描いたそうなので、スウェーデン人だと思うが、絵も描けてピアノも弾けるちゃんとした人なら知り合いはいるだろ? でも彼は記憶喪失だということだから、もしかしたら、何か、会いたくない理由でもあるかもしれないと。

関係ないが、私は、子供のころ、眠っているけどバイオリンは弾けた。バイオリンの先生の前になると、なぜかいつも眠くなるのだ。それまで友達とどんなに騒いでいても、順番が来て、「お願いします」っていって、先生の前で弾き始めると眠る。眠りたいわけじゃない。眠らないように努力するのだが、いつのまにか寝てる。でも、弾いてる(微妙に変らしいが)。記憶喪失だけどピアノが弾ける人と勝負できそうじゃん? ふっ。

PS.ま、私の腕前は子供並みですが(笑)

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May 09, 2005

ジロンカ効いてるかも

B0002TB47W昨日、ジロンカがアマゾンから届いたので、早速流しに置いてみた。ラバーケースに水を少し入れ、円形のステンレスをその中に入れるという仕組み。約8cm四方と、意外と小さいので、水道の蛇口の横にすんなり置ける。

消臭の仕組みは、水分と空気と接することでステンレスが触媒作用を起こし、臭いの分子が分解され、臭いを持たない原子の状態になる--ということだそうな。

1日使ってみたが、とりあえず、生ゴミっぽいにおいはしなくなったような…。これで手についたにんにくのにおいも取れるみたいだし、しばらく使ってみようと思う。

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May 08, 2005

『幻の水素社会』

幻の水素社会 「環境問題」に踊らされるピエロたち』
藤井 耕一郎 著

今の燃料電池ブームはすごい。燃料電池車はあと少しで手が届きそうな超クリーン自動車ということに(世間的には)なっているし、首相公邸にも家庭用燃料電池が入ったくらいだ。産業紙まで含めれば、燃料電池関連の技術開発記事が新聞に載らない日はない。

だが、水素社会や、その中核となる燃料電池については、好意的な意見のほかに、懐疑的意見も聞いていた。だからこの本が「懐疑的」部分を整理し、科学的に説明してくれているのかなと期待して読んでみた。

以下感想。

燃料電池が素晴らしいという社会的風潮に一石を投じようという「気持ち」はわかる。水素信仰に喧嘩を売るという姿勢は面白い。

しかし、一つ一つの章は書き込んであるにもかかわらず、なんだか雑然としていてすっきりしない。
仕方ないので内容をものすごく単純に要約してみると
1.環境問題の奥底には南北問題やイスラム問題がある。京都議定書で日本は負け組となった 
2.水素社会は夢みたいなもの。実際にやろうとするとインフラに莫大なコストがかかる 
3.水素製造から燃料電池までの総合効率もいいとはいえないし、化石燃料代替にならない
ってところか。

本に書かれているとおり、エネルギー問題は国際政治に直結していて、そこにはブラフが多い。イラク戦争をみてもわかる。また石油が本当に枯渇するのかとか、本当に温暖化の原因がCO2なのかとかの議論があることも、京都議定書では日本が一番損をしていることも事実。燃料電池については、実質的な総合エネルギー効率やCO2削減効果、エネルギー安全保障問題に関する効果への疑問があることも本当だ。私自身は知っていることが多かったが、水素社会がすぐ来ると思っていた人には刺激的だろうし、本の表題にあるように「目を覚ます」かもしれない。

しかし結論は「水素社会はホラ」以上はないので、読者は、目を覚ましたけど、じゃあどうしろというのかと疑問を持ってしまう。また、扇情的な書き方は、意図と逆の反応も生み出しかねない。まあ、それがウリなのだろうが。

水素社会にどんな疑念を抱こうと、日本の立場はあまりかわらない。石油枯渇が本当かというより、国力の衰えや世界的なエネルギー不足状態によって、石油や石炭、ガスなどの化石燃料が入手できなくなった時に備え、なんらかの形でエネルギー安全保障を確立する必要があるからだ。その解決策を水素や燃料電池だけに絞ってはいけないが、風力や太陽光、バイオマス、原子力、核融合なども含めて、総合的にエネルギーの確保と高効率利用への努力をしなければならないことに変わりはない。CO2問題だって京都議定書のホスト国でもあったわけで、当面は削減に励まなくてはいけないだろう。

藤井氏は、日本はエネルギー問題でもお人よしだ、ということを言いたいのだろう。しかし強硬論を唱えればうまくいくわけでもない。日本らしく、どちらつかずで、利にさとく立ち回るしかないのかなと思う。その「利にさとく」が難しいのだが。

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May 07, 2005

田舎と都会と

GWなので、6日に休暇を取って、田舎に帰ってきた。

わが故郷、信州は、島崎藤村の生誕地、山口村が越県合併し、岐阜県中津川市になるなど、前回帰った時から県政にも紆余曲折があって、その裏話というか、田中康夫知事政権下の一県民の声などを聞いてみたわけだが、そんなことより驚いたのは、鉄骨がないことだ。

鉄骨がないために建設が遅れ、開店が半年ほど遅れた店があるという。

車で通りすがりに見た感じでは、大量の鉄骨を必要とする大規模店舗ではない。どちらかといえば、田舎の街道沿いにある、よくあるタイプのちょっと大きめという程度の店舗である。

日産が鋼材不足で生産調整をしていたり、そのほかにもメーカーが値上げに踏み切らざるをえない状況にあることは知っていたが、東京のあちこちで高層マンションが建設されている光景を見てきた者にとっては不思議な感じ。中国発の原料不足で、東京など大需要地にはとりあえず回ってくるが、田舎まで回ってこない、というのが現実らしい。予約しても何ヶ月待ちという状況だという。

田舎と都会の格差が広がりつつあるなというのは、以前から感じていたことだが、こんなところにも現れてきたというのが一つのショックであった。田舎の市街地は廃れ、新しく作られた街道沿いに都会の大資本であるスーパーや、チェーンの安い飲食店だけが広がるという異様な光景はすでに常態化している。しかしここまでは陣地取り合戦だったが、今回はそれですらない。ある意味、切り捨てだろう。

…とはいえ、帰省の道中、美しい新緑の風景を見ていると、それがどれだけ重大なことなんだろうかと思ってしまう。ゆったりした時間の流れ方や、自然と一体化したさまざまな考え方は、都会では得られないものであることも事実だ。もしかしたら都会でも得られる人はいるのかもしれないが、信州出身の私にはちょっとムリなんだなと感じる。高い山々の風景を見るだけで、リラックスしていく自分がいるわけだから。

物質的豊かさの代わりに切り捨てたものの大きさ。それが今の日本の喪失感につながっている。ちょっと乱暴で、あまりうまくまとまっていないが、そんな気がする。

ここまで書いて、終わらせようと思ったのだが、ふと田舎で親の事業を継いで破綻した友人を思い出した。田舎のよさを感じられるのも、現段階で経済的に破綻をきたしていないという条件下だということも、付け加えておく必要があるのかもしれない。なんだかさびしい話である。

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May 03, 2005

ジロンカどうかな?

ジンガロではない(笑)

微妙に排水溝から臭ったりする季節になった。パイプマンなんかでどんなにきれいにしてもダメ。ウチが原因じゃないみたいなんで、打つ手なし。

そしたらこんなのどう?って言われたのがジロンカ。とても優秀なドイツの消臭グッズらしい。買ってみるか。

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4月後半からの雑感

多忙にかまけてすっかり放置している間に、このほぼ半月で、フジVSライブドアの収束、反日デモの激化と鎮静、福知山線脱線事故発生、北朝鮮のミサイル発射と立て続けに大事件がおきた。

脱線事故については、犠牲になられた方々のご冥福と、一命を取り留められた方の早期回復をお祈りすると同時に、きちんと原因追及をして、再発防止策を取ってほしいと思う。

素人考えをあえていえば、今やIT時代なのだし、基本的には自動運転というシステムはできないのだろうか。航空機は離着陸以外は自動運転なのだから、鉄道でも発車・停車の前後と緊急時のみ人間の運転でいいのでは…。もし可能ならば、運転ダイヤが乱れた時に、コンピューターの自動計算でダイヤを組みなおすという機能もあるといいと思う。運転手があせらないですむし。

と思っていたら、「地上1センチの滑空人生」のサマンサ氏によれば、すでに自動運転システムは導入されつつあるようだ。さらに進化させ、普及させてほしいですね。

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